大阪再発KEN記
住吉大社を歩く 〜1800年の歴史を今に伝える〜 |
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明治から大正、昭和へ・・・。近代への歩みを進める大阪。北と南の両御堂界隈にも、歴史の波が押し寄せていた。
住吉大社は、全国に約2300あるという住吉神社の総本社。その歴史は古く、住吉大社鎮座伝承によると、神功皇后摂政11年(211)、神功皇后が住吉大神をお祀りになったのが始まりとされている。
住吉大神とは、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の三柱の神さまの総称のこと。
住吉大社には、この三柱の神さまと、神功皇后が祀られている。本殿は 第一本宮から第四本宮まで4社あり、他に摂社4社、末社が26社ある。
現在は海から8km余り内陸にあるが、創建当時は、この地のすぐ西まで海辺が迫っていた。住吉大社は「海の神」であり、遣隋使や9世紀頃まで続いた遣唐使、南蛮貿易で
栄えた中世堺、海上輸送の発達した江戸時代には廻船業者らがここで渡航の安全を祈願してきた。
また住吉浜には 松並木があり、白浜が打ち寄せる風光明媚な場所だったことから、多くの和歌にも詠まれて来た。『伊勢物語』や『土佐日記』、『源氏物語』などにも記述が見える。
治承2年 (1178)には平清盛、住吉社に願文を奉った記録(『山槐記』)もあり、次第に和歌の神としても信仰を集めるようになった。また慶長19年(1614)の大坂冬の陣の折には、徳川家康が住吉社神主邸を本陣にしたという記述もある(『台徳 院殿御宝紀』)など、度々歴史の表舞台にも登場している。
江戸時代には、松尾芭蕉など俳諧などの文人も訪れたという。
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第二次世界大戦中、空襲などの被害には遭わなかった住吉大社。だが昭和9年(1934)の室戸台風では各所で被害が出て、昭和19年(1944)の南海地震により住吉大社の大鳥居が倒壊、昭和25年(1950)のジェーン台風でも境内や末社に被害が出るなど、しばしば天災に見舞われた。
平成元年(1989)「住吉大社と太鼓橋」は大阪みどり百選に選定平成19年(2007)には住吉大社・住吉公園が「美しい日本の歴史的風土百選」に選定、平成23年 (2011) には御鎮座1800年記念大祭が行われた。歴史ある神社であるのはもちろんのこと、都心にある貴重な緑のスポットとしても、訪れる人々の心を癒やしてくれる存在となっている。
令和の現在、初詣には200万人を超える人々が訪れ、1年の幸せを祈願する。5月には全国弓道大会が開催、6月には「御田植神事」、夏には3日間行われる「住吉祭(夏越祓神事・例大祭)」、中秋の「観月祭」では反橋上で住吉踊・舞楽 が奉納される。
こうした年中行事に加え、人生儀礼としての初宮詣、七五三、安産、結婚式、厄年には厄除けと、節目にお参りする人も多い。ご利益を求めて毎月「初辰参り (右下参照)」に訪れる人、五所御前で「五大力」の小石を見つけてお守りにするなど、参り方はそれぞれ。
また一寸法師ゆかりの地でなりきり撮影ができるフォトスポットもあり、すみよっさんは、今も変わらず大阪の人々の心の故郷といえるかもしれない。
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