大阪NOREN百年会 瓦版
大阪NOREN百年会 かわら版

浪速・商人・老舗・歴史 大阪「NOREN」百年会 かわら版 <2002 第14号>

「蜆川(曽根崎川)」


北浜


大阪を代表する繁華街、キタ新地。そのあたりには、曽根崎、堂島、桜橋、浄正橋など、水の地勢に関する名称が残っている。
明治42年の大火後埋め立てられるまで、曽根崎川という幅数メートルの川が流れていた。
堂島川・大江橋の東側から梅新南を通り、新地の中心部を西へ出入橋を経て、堂島大橋西側付近で再び合流する支流であった。
蜆川とも呼ばれ、蜆がとれたから、あるいは、月日とともに川幅が縮むので「ちぢみ」、それが訛って「しじみ」ということからだと言う。
江戸時代からお茶屋、料理屋、旅館などが集まった花街で、三味線や唄で賑わい、船遊びの場でもあり、水路でもあった。いまはその風景を偲ぶよすがはないが、路傍に建つ碑と、地名にこの土地の履歴を知る手がかりがある。


聞き書き私的「大阪弁」(1)

 


いまや全国に拡がりつつある大阪弁。しかし、使われなくなったり、消えつつある言葉がたくさんあります。
普段の生活で使用していたそれらの言葉を、記憶の中を探りながら’聞き書き’として掲載していきます。

「おはよおかえり」


「どこかに出かけようとしたとき、家や店の者にかけられる言葉である。「寄り道せんとはよ帰ってきいや」、「事故にあわんと、無事に帰ってくるように」と、どちらの意味にもとれそうである。出かけていく者に何か後ろめたいものがあれば、前者のように感じられるであろうし、素直に聞けば、後者のように聞こえるであろう。無言で送られるよりは、何か一言あった方がうれしい。なにげない日常会話の中に、そっと気遣いを忍ばせるというのも、船場ことばの良いところといえるだろう。

「よろしぃおあがり」


「ごちそうさんでした」と食事を終える。それに応えるように、「よろしぃおあがり」。「おいしくいただいてくださいましたか」、 と丁寧に言い換えればそういう意味になるだろうか。何か言葉を発せられると、発せられたままで放っとかない。放ったままにはしない。 言葉を受けて、その場に合った言葉で応える。定型的にはなるけれど、その決まり文句が、便利であたたかいコミュニケーションになる。

「おおきに、はばかりさん」


お使いから帰り、頼まれものを渡すとこういわれる。「おおきに、はばかりさん」。「どうも、ありがとう(ご苦労さん)」という意味である。 「おおきに」が「どうも」で、「はばかりさん」が、「ありがとう」に対応する。いまでは略されて、「おおきに」が、ありがとう、の意味で使われているが、「はばかりさん」を付けた方が、丁寧な物言いである。略されて意味が通じているのは、「ありがとう」が「どうも」で使われているのと同じ事であろう。

「また、なにさしてもらいま」


いつ、どこで聞いたりしたのか、具体的な記憶がないが、その感だけが何となく頭に残っている、そんな言葉の一つである。商い上で使う言葉だったように思う。「今回ちょっとがまんしといて。つぎまた、なにさしてもらいまっさかい」というように使われる。相手もそれを聞いて「しょうおまへんな」と応える。さて、この「なに」は、なにであろうか、と気になるところであるが、「なに、て何してくれんねん」と追求してはいけない。「なに」は「なに」なのである。親しい間だでないと通じない言葉であるが、たまに使うと、場もなごみ、話もスムーズにいったりする、こともある。

「どんならん」


会話の中で割とよく使われる言葉である。「どうにもならない」「どうもならん」が縮まった表現である。驚きと断りのないまぜになった気持ちが入る。「納品がちょっと遅れそうで待ったってもらいまへんやろか」「いまそんなこと言われても。そらどんならんわ」。「そらどんならんな」と語尾がかわることもある。切羽詰まったようにも聞こえるが、それほどの事がないこともある。また合いの手のように使われたりもする。別の言いで「そら、雨降りの太鼓や」と使うと、ちょっとしゃれた感じではある。

「おはようさん」


気楽に「おはよう」、丁寧に「おはようございます」。であるとするならば、「おはようさん」は少し気楽に、少し丁寧に、そして優しく、といったところか。愛想もあり、柔らかい表現で、言葉として口にし易いあいさつであると思う。身体いっぱい元気よくというのではないが、相手に対しして、語りかけるような余韻をもっている。「〜さん」は、「こんにちは」、にも、「こんばんわ」にもつかない。「おはよう」だけにつく。家庭でも、職場でもどこでも使える便利な言葉である。

「ぬくい」


「今日はちょっとぬくいですね」「・・・・」「昨日よりぬくいですね」「・・・・」「今日はあたたかいですね」「ほんとに昨日に比べたら」。 聞こえていないと思ったらちゃんと聞こえていた。1980年代半ばの冬、箱根の温泉宿での会話である。「ぬくい」という言葉が通じなかったのである。標準語とまでは思っていなかったが、誰でもわかると思っていた。「ぬくい」は「温かい」で、「温(暖・あたた)かい」の意味である。 ほんわかと、ふわっとした語感があるように感じられる。「ぬくもり」に近い響きがある。

「いきり」


小学生時代には、よく使っていた。「おまえ、いきっとんな」、「いきるなや」、「いきり、いきり」と連呼したりする。ちょっとかっこつけに対する言葉。子どものくせに大人ぶっていたり、見栄をはっているのが一目でわかる時に、まわりで囃し立てるように使っていた。さすがに中学生になると、聞かれなくなった。子どもっぽいおもいと、囃し立てるという事の恥ずかしさに気付いたからだろうか。調子にのる、はしゃぐ、とか、意気込む、勢いづくというのが本来の意味であるが、どうも子どもなりの使い方をしていたらしい。

なにわ印象派(1)

「ミナミ今昔」 ジョン・カメン

織田作之助の「夫婦夫婦善哉」は次の言葉で始まる。「年中借金取りが出はいりした。季節はむろんまるで毎日のことで、醤油屋、油屋、八百屋、鰯屋、乾物屋、炭屋、米屋、家主その他、いずれも厳しい催促だった・・・」
当時の千日前周辺の生活は決して楽ではなかったようである。 今年9月8日の夜の旧中座の解体工事中に起きた火災は大阪人に大きなショックを与えた。事故は日本中に大きく報道され、各新聞は連日火災に関連した記事を載せていた。しかし、記事の内容を見ると、世界最古の劇場の焼失についてよりも、劇場の裏にある法善寺横丁の損失に主眼をおくものであった。 心斎橋から戎橋をへて難波までの道路の両側には近代的な建物、レストラン、パブ、キャバレー、パチンコ店、ナイトクラブ、寄席などか並ぶ。現在の千日前と道頓堀はどこが違うのか分からないほど互いによくにている。初めて大阪を訪れる人の目に、千日前は道頓堀の延長のように見えるのも当然かもしれない。しかしこれは比較的最近の現象であり、二つのところには大きく違う歴史がある。道頓堀の方は、300年も前から劇場の町であり、日本橋から戎橋まで「五座」といわれる劇場が建ち並び、その向かい側には何十もの芝居茶屋があった。これらの劇場では浄瑠璃、歌舞伎などが演じられ、客はどこも大入りで盛況を極めた。 道頓堀は船場の金持ちの商人の集う娯楽場であった。それに対して、千日前は明治まで大阪の周辺の一番大きい墓地と刑場があったところである。道頓堀と千日前の歴史は大坂城が徳川軍によって破壊された後から始まる。初代大坂城城代の松平忠明が市街地を整備して、市中の墓地と寺を街の外に移し、それと同時に街中に散在した遊郭と芸人たちの小屋も道頓堀川べりに移転した。市の4つの墓地が芝居の町の南に移され、その後、法善寺と竹林寺が墓地の入口の近くに建設された。法善寺と竹林寺で千日回向の供養が行われていたことから千日寺と呼ばれ、寺の北側は千日前といわれた。 千日回向が流行し、参詣人が増えるにつれて、境内に彼らを相手に見世物小屋ができた。1835年頃、境内には37軒もの小屋があったそうである。 法善寺の金毘羅堂へゆく路地「極楽小地」が現在の法善寺横丁である。 路地の両側にも見世物小屋などの遊ぶところができたが、近くに刑場と火葬場があった為あまり人気がなかった。千日前が本格的な歓楽街になったのは、明治時代に入ってからである。1870年に刑場が廃止され、1874年に火葬場や墓地が阿倍野へ移転し刑場跡が払い下げられた。それから次々見世物小屋、小料理店などが進出して、1883年に夫婦善哉、1893年に正弁丹吾亭などの店が開かれ、人々は道頓堀から千日前へやってきた。明治中頃、法善寺裏と横丁は特に席亭(寄席)で繁盛した。周辺は開発され、娯楽施設が次々建てられまた壊され、千日前は一世紀を経て現在の大歓楽街に変貌した。 いま、道頓堀からはかつての芝居の町の特性がなくなり、千日前からは過去の暗いイメージは消えた。しかし法善寺横丁にはまだ昔のミナミの面影がたっぷり残っている。 明治30年建造当時 (4)昭和10〜15年ごろの法善寺界隈(朋興社「百年の大阪」)

参考文献
脇田修「近代大坂の町と人」人文書院
読売新聞社「百年の大阪」朋興社
なにわ物語研究会「大阪まち物語」創元社


明治30年建造当時
(1)
今橋つきぢの風景
(2)千日前 見世物小屋 今橋つきぢの風景
(3)明治45年の千日前・法善寺界隈
  (朋興社「百年の大阪」)


<ジョン・カメン>
本名:ヤン・ヴァンデルカメン
ベルギー人 71歳
日本文化、歴史研究、翻訳、
1970年より箕面市在住。
元東大阪短期大学教授(哲学)


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