明治の中頃から大正期にかけての、 市内の主な娯楽施設、イベントを並べてみる。
明治21年(1888)有宝池眺望閣
22年(1888)偕楽園商業倶楽部
有楽園凌雲閣
浪速富士山
24年(1891)パノラマ館
36年(1903)第5回内国勧業博覧会
44年(1911)芦辺倶楽部
45年(1912)「ルナパーク」開園
大正 2年(1913)楽天地
3年(1914)築港大潮湯
4年(1915)市岡パラダイス
14年(1925)北港潮湯
高層建築あり、遊園地あり、庭園あり、健康ランドあり、と多種多様で娯楽施設の要素としては、現代と変わるところがない。ただ、技術の発達によって、設備が少し複雑になっているという点が異なっているといえるが、高いところへ登って下界を眺めたり、温泉につかって座敷で宴会したり、その楽しみ方や、時間の過ごし方は同じようなものである。
大正初めにオープンした楽天地もその一種といえる。楽天地は、前回紹介した千日前の芦辺倶楽部の東向に建てられた複合娯楽施設である。映画館、劇場の他に、ローラースケート場や水族館まであり、一日飽きずに楽しめたという。
また、半円形の建物はその外周を、らせん階段でぐるぐる回りながら登って、屋上の展望台に行けるようになっていた。そして、夜には、イルミネーションで夜の街に明るく照らし出され、見物人も多かったという。
この楽天地は、昭和の初めには姿を消し、かわって、昭和7年(1932)10月には大阪歌舞伎座がオープンしているが、そこにはアイススケート場が設けられてあり、人気を集めていたという。
一度で二度おいしいという、娯楽の醍醐味がここにも生きていた。
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楽天地・イルミネーションに浮かび上がる楽天地
右側に楽天地が建てられた(左側は活動写真館などが入った芦辺倶楽部)
楽天地の跡に建てられた大阪歌舞伎座。現在はプランタンなんばが建つ。
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