四ツ橋のたもと、その北東角に昭和12年(1937)3月、大阪市立電気科学館が開館した。地上8階、塔屋7階、鉄骨鉄筋コンクリート造、当時としては極めて堅牢で、近代的な外観を誇っていた。電灯市営10周年を記念して、昭和8年(1933)、電気に関する博覧会の開催とともに、恒久的な電気知識の啓発施設の設計が計画されたのである。
東洋初のプラネタリウムが呼びもので、当時の最先端の電気化学技術を展示、紹介していた。1階は、電気器具機械の陳列、販売をはじめ、電気に関するサービスをする”市電の店”、2階は、写真伝送機、自動電話交換機やテレビジョン電話など、微弱電波を利用する機器や無線電信電話に関する機器を陳列する”弱電・無電館”、順に、3階は変圧器や豆電気機関車など、電力の発生や電力電熱の利用方法をわかりやすく説明し、新しい活用方法まで紹介する”電力電熱館”、4階は、照度実験装置や水泳プール照明模型など、新しい照明方式の原理を実物、模型により説明する”照度館”、5階は、電界や発電機の解説をする装置など、電気の原理が見てわかるように陳列する”原理館”という構成になっていた。
そして6階が世界にも20数台しかなかったプラネタリウムを設置する天象館であった。
プラネタリウムは、一種の天体運行照明装置で、一晩の星の動き、春夏秋冬の角季節の星の様子を、半円形の天井いっぱいに映し出していた。円形の部屋の中央に置かれた装置から映写された星空を、仰ぎみるのは当時も、天体知識の向上とともに、ロマンチックなものであったという。
9階屋上には、プラネタリウムのドームが約3分の1ほど突き出ていた。この部分は、色モザイクタイルで、縮尺60万分の1大地球儀があらわされており、子どもの遊び場ともなっていた。
長堀川(現長堀通)と西横堀川(現阪神高速)が交差する四つ橋、電気科学館の建つ吉野屋橋から西へ四番目の橋を富田屋橋といった。
いまから約200年前、この橋の上で、天文学者 間 長涯(はざまちょうがい1756〜1816)が天文観測をしていた。江戸時代、科学的手法を用い当時、天文研究の最先端であった間長涯と、プラネタリウムを設置した電気科学館が、この四つ橋あたりで結びついたのも奇縁といえるかもしれない。
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四つ橋ほ北西方角に昭和12年3月、大阪市立電気科学館が完成、オープンした。
開館当時のプラネタリウム映写機。
開館当時のエントランス。
写真提供:株式会社 大林組
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