100年も昔の事である。
大阪のミナミとキタに、100尺を超える高層建築物が建っていた。”ミナミの5階”と呼ばれた「眺望閣」、”キタの9階”と呼ばれた「凌雲閣」である。高層とは書いたものの、100尺と言えば30mほどである。
現代とは異なり、明治の中頃としては、あたりの町並を圧倒するかのような様子であったに違いない。
眺望閣は、今宮村(現浪速区・日本橋あたり)に、明治21年(1881)に建てられた、高さ17間1尺(約31m)の八角形の木造5層楼閣であった。
眺望閣からの展望は特に西向きからの眺めは、遠く淡路島まで見渡せたという。船の往来する海の光景は、格別のものであっただろう。
その翌年、高さを競うように建てられたのが、北野村(現北区・茶屋町あたり)の凌雲閣である。
高さは130尺(39m)と眺望閣を約10mしのいでおり、1・2階は5角形、3階からは八角錘台の形で、その上に丸屋根の付いた展望台となっている、奇妙な形をしていた。
どちらも、それぞれ「有宝地」、「有楽園」といった遊園内に建てられた、高層からの眺めを売り物にする、娯楽施設の一つであった。
池泉が整備され、四季の花が咲き誇り、茶店、遊戯場が設けられた一角にそびえていたわけである。それまでの娯楽の中に、高層からの眺めという新しい楽しみ方を拡大化して採り入れた点に時代の空気を感じさせる。
高層建築をいうのは、宗教的なシンボルとしての高塔があるが、ほとんどの場合において高所から眺めるということはできず、ある意味において、地を見下ろす、あるいは見上げられるという点において、一種の権威をあらわすものであったと言えるかもしれない。
山や丘の斜面を利用した料理屋や、高台での花見など、自然の地形を利用した楽しみ方はあったのだろうが、人工的な建築物に関しては、その限りではなかった。
現代でも、高所からの眺めは、人々を惹きつける。人々の娯楽への欲求は、昔も今も変わることなく、ただ技術の進歩により、仕掛けが複雑化しているだけのように思われる。
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通称”ミナミの5階”と呼ばれた「眺望閣」。屋上展望台から市街地や大阪湾が一望に見渡せた。
通称”北の9階”と呼ばれた「凌雲閣」。「眺望閣」より10mほど高かった。
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