大阪NOREN百年会 瓦版
大阪NOREN百年会 かわら版

浪速・商人・老舗・歴史 大阪「NOREN」百年会 かわら版 <1998 第1号>

大阪百景むかし巡り「永代濱」


永代濱現 楠永神社あたり(西区)

江戸初頭から昭和6年(1931)までの310年間、この地には塩干魚・鰹節・昆布・干鰯(ほしか)の問屋が所狭しと軒を連ねていた。この問屋街の中央に、寛永元年(1624)に海部堀が通じ、永代濱と称する荷揚げ船着場が「ほしか」専用の濱として設けられた。ほしかは、脂をしぼったあとのイワシやニシンなどを乾かした農業用有機肥料のことだが、江戸期には田地を活性化するのにはなくてはならないものであった。 上の写真中央に写っている大樹は、現在もうつぼ公園のナニワ筋西南角に楠永神社神木として祀られている楠樹の往時の姿であるが、往時の祠(ほこら)は奉納されている石灯籠程の大きさでしかない。 濱の荷揚場には俵物が運びこまれ、その奥には人力車が群れをなして、客の付くのを待っている。大正期には官吏や相場師・銀行家を上得意をした日本独特の乗り物で中国大陸に瞬く間に伝播した。飛脚からの転業が多く、「飛○」の屋号を持つ集団が支配した。


大阪の老舗と暖簾(1)

地方史家 伊勢戸佐一郎


老舗の特質

●はじめに
大阪の老舗のたたずまいや生活様態から商いの秘訣に至るまで連載を始めることになった。 どこまで掘り下げられるか知れないが、お引き受けしたからには、新しくて旧さを包み込んだ老舗の実像を書き上げたいと思っている。 老舗って、一体どういう条件を必要とするのだろうかと考えてみると、最初に挙げなければならないのは、以外に思われるかもしれないし批判もあろうが、大阪ではその地域で最も立派な店構えを持っている会社・商店ということである。 老舗が旧いのはいけない事なのである。逆説的にいうと、最も進んでいて他をリードしなければならない責任がある店舗なのだ。早くから大阪では「うだつ(卯建)を上げる」ことを、商人が世間から認められる第一の要件とした。これが実行されずして、この関門をくぐり得ずして老舗になり得ることなどあり得ないからである。 そういう意味からも大丸・そごうは大阪の老舗である。御堂筋が完成すると、逸はやくランドマークとなる百貨店を出現させた。生駒時計店も御堂筋の開平で本店が立退きになると、堺筋の出張所を近代ビルに改装した。それからは時代の先端を行くものであった。 ●老舗の特質
大阪で商売をする以上は、自分で家屋を所有することが第一の念願であった。それが創業者の目標であり、その象徴が棟から軒先にかけて両側との家の境界に造った「うだつ」であったのである。(宮本又次著「大阪」より) 更に同書の文言を借りると、一人前に家を持てない嘆きが「うだつが上がらぬ」ということであり、そこから終始・勤勉・努力が生まれて一生懸命に働いたというのである。店舗を自前のものにすると利殖の方法として家作を多く持ち家主になり、家族の生活はそれだけで賄えるようにする。 往昔の大阪弁でいうと、いわゆる「良い衆(ええし)」となって町内の人たちから尊敬を集める。文化をもち、芸能に通じ、学職を得て、社会的にも大きな役割を果たす名家(めいか)に成長し、後続の商人層を育成したのである。 元来、オーナー経営者はそういう資質を持つ一族でなければならない。そこには、世の中の全てを包見込む度量が存在している。言い換えると、大阪においては、それが問屋集団の街区を形成する発端になったのである。「持ちつ持たれつ」という言葉があるが、商人が主力をなす経済都市に絶対的に必要な要素は、正にこの一語につきる。同業の頂点に立つ一社が巨大であっては、裾野は拡がらない。むしろ、後続業者のために活路を拓いてゆく精神の涵養が望ましい。それが老舗の役割かもしれない。

うんちく辞典(1)

博覧会からフェスティバルゲートへ

現在見ることができる街並は、そのままの姿で、突然あわられてきたわけではない。時代の流れとともに移り変わっている。歴史が時の流れの積み重ねであるならば、その中で昔の風景をおもい描いてみるのは、未来の姿を想像することと、似たような感覚があるかもしれない。 明治36年(1903年)、大阪市街地の南郊で、第5回内国勧業博覧会が開かれた。33万平方メートルという広大な敷地に、国内はもとより、海外13カ国のさまざまなパビリオンが建てられ、各地の工業製品や名産品が一堂に集められ展示されていた。 特に、茶臼山の斜面を利用したウォーターシュート、建物全体が冷蔵室となっている本邦初の”冷蔵庫”が人々の人気を集めていた。また、夜になると会場が、イルミネーションで飾られ、闇にうかびあがった光り輝く夜景は、目をみはるものであったという。 第1回の内国勧業博覧会が開かれたのは、明治10年(1877年)、東京上野公園であった。当時日本は、西南の役が起こるなど、未だ維新による政治的な混乱が残る反面、産業を発達させ、国力を充実させる”国としての基礎”づくりの真っ只中にあった時期である。 時代の移り変わりの中で、博覧会の性格も単純なる先端的な技術展示ではない、技術を応用したアトラクションなどの娯楽色が強くなってきている。大阪で開かれた内国勧業博覧会は、現在の新世界周辺である。 博覧会からルナパーク、通天閣、新世界、そして、フェスティバルゲートと、人々を集め、楽しませるという娯楽性は、いまだその地に引き継がれている。


●フェスティバルゲート


都市型立体遊園地やウエルネス、アミューズメント施設等を導入し、幅広い年代層をターゲットとして広域から集客を得る事により、魅力ある「遊び」に徹した都市型レジャーワールド。大阪市の土地信託事業により新世界一帯の再開発の核として平成9年7月にオープン。”国際集客都市”大阪として、現代の名所となっている。

第5回内国勧業博覧会
第5回内国勧業博覧会 新世界ルナパーク
新世界ルナパーク フェスティバルゲート
フェスティバルゲート

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