現在見ることができる街並は、そのままの姿で、突然あわられてきたわけではない。時代の流れとともに移り変わっている。歴史が時の流れの積み重ねであるならば、その中で昔の風景をおもい描いてみるのは、未来の姿を想像することと、似たような感覚があるかもしれない。
明治36年(1903年)、大阪市街地の南郊で、第5回内国勧業博覧会が開かれた。33万平方メートルという広大な敷地に、国内はもとより、海外13カ国のさまざまなパビリオンが建てられ、各地の工業製品や名産品が一堂に集められ展示されていた。
特に、茶臼山の斜面を利用したウォーターシュート、建物全体が冷蔵室となっている本邦初の”冷蔵庫”が人々の人気を集めていた。また、夜になると会場が、イルミネーションで飾られ、闇にうかびあがった光り輝く夜景は、目をみはるものであったという。
第1回の内国勧業博覧会が開かれたのは、明治10年(1877年)、東京上野公園であった。当時日本は、西南の役が起こるなど、未だ維新による政治的な混乱が残る反面、産業を発達させ、国力を充実させる”国としての基礎”づくりの真っ只中にあった時期である。
時代の移り変わりの中で、博覧会の性格も単純なる先端的な技術展示ではない、技術を応用したアトラクションなどの娯楽色が強くなってきている。大阪で開かれた内国勧業博覧会は、現在の新世界周辺である。
博覧会からルナパーク、通天閣、新世界、そして、フェスティバルゲートと、人々を集め、楽しませるという娯楽性は、いまだその地に引き継がれている。
●フェスティバルゲート
都市型立体遊園地やウエルネス、アミューズメント施設等を導入し、幅広い年代層をターゲットとして広域から集客を得る事により、魅力ある「遊び」に徹した都市型レジャーワールド。大阪市の土地信託事業により新世界一帯の再開発の核として平成9年7月にオープン。”国際集客都市”大阪として、現代の名所となっている。
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第5回内国勧業博覧会
新世界ルナパーク
フェスティバルゲート
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